元寇と相模国の刀について
相模国は源頼朝が鎌倉に幕府を定めて以来栄え、武家政権の特徴は三代目将軍実朝の頃から現れるようになります。相模国の刀工が作った刀の作品を相州物といいます。
相州物の特徴が強く現れ始めるのは元寇以降です。特に元寇直後から南北朝時代以前の作品は前代からの良さの継承と奥深さの探求がなされ、独自性の確立が果たされる時期だとしばしば評価されます。そもそも鎌倉時代以前は他国から移住してきた刀工が多かったために、独自色はほとんど現れていませんでした。
契機は執権北条時宗のころに起こった元寇での外国との大戦の経験だと言われています。この大戦以降、平安から鎌倉初期の名刀は武器として威力が低いという認識が生まれ指摘されるようになりました。そのため以降は形から焼き場の入れ方に至るまで力感あふれる作品が増えていきました。
これまでの名刀は家宝になり保存される傾向を踏まえると、これは実用的な変化が時代の流れとともに求められ変化していったと言えるでしょう。
具体的には太刀は従来より長さが延ばされ、反りは浅くそして鉄の部分の肉厚感が薄く少なく作られるようになっていきました。これによって鋭利で、かつ物切れな形態へと変化していきました。
また刃踏みや焼き幅も広く、乱れの形も大きくなり、刀の切先の丸みが深い作りになっていきました。地鉄に関しても小肌小模様の鍛錬方法だと折れる恐れがあるため、炭素量を変えた大模様の肌を交えるようになりました。これにより地鉄の模様が大きく強靭さが増し、地沸が凝結した湯走りが見られるようになります。
このような芸術性と実用性の両立がこの時期の相州物の特徴と言えるしょう。