この「短刀 源秀寿(壽) 天保五年仲冬 為(爲)濤齊主人作之」の長さは23.0センチ(約七寸六分)、反りはありません。平造りで、庵棟。内反りで、板目肌がつみ、地沸つき、地景が入ります。刃文は湾れに互の目交じりで、小沸がよくついています。帽子は湾れ込み、先小丸に長く返る。棒樋は鎺元で丸留めされています。

姿はふくらやや枯れて、後年の鋭い特徴ある造込みに近くなっています。板目肌つみ地沸つき、湾れに大互の目小沸つき、すでに金筋を交じえた優れた出来ばえであり、銘と共に貴重です。

 

なお、源秀寿は、源清麿の別銘です。秀寿銘のものには、この短刀のほかに、山浦内蔵助源秀寿銘と、一貫斎秀寿と銘した短刀があり、山浦内蔵助源秀寿銘には、この短刀と同じく、天保五年仲冬の年紀があります。その後は山浦環、または山浦環正行と銘しています。

源清麿は、兄真雄と共に、上田の藩工河村寿隆のもとで研鑽を重ねました。たとえば文政十三年四月の脇指は兄弟の合作の刀で、その作風は師の寿隆の如く、匂口の締まった小丁子刃を焼いています。

この短刀は清麿十八才の時の作です。天保三年紀の一貫斎正行銘の脇指も、小丁子を焼いています。その後きわめて短い一時期、源秀寿と銘していました。この秀寿銘は師の寿隆から贈られたものと考えられ、兄真雄も寿昌と銘しています。秀寿銘はきわめて少なく、この短刀はその一口です。二十二才の若さで、すでに清麿の才能の片鱗を示しているのではないでしょうか。

 

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