「太刀 銘 作者備前國長船住左兵衛尉景光 進士三郎景政 正中二年七月日 願主武蔵國秩父郡大河原入道沙弥蔵蓮同左衛門尉丹治朝臣時基 於播磨國完栗郡三方西造之」は備前長船景光と、景光一門と考えられる景政が合作した太刀です。

依頼したのは播磨の丹治時基および大河原入道蔵蓮であり、銘から両者の故郷である武蔵国秩父郡の秩父神社へ奉納する目的で、正中2年(1325年)に作らせた品と分かります。

景光と景政は、4年後の嘉暦4年(1329年)にも、播磨国の一の宮となる広峰山神社へ太刀を鍛刀寄進しました。

 

この太刀の長さはおよそ68.0cm(二尺二寸四分五厘)、反りはおよそ2.2cm(七分二厘)です。鋒は中鋒がやや延びごころであり、身幅はやや広め。踏ん張りがあって、反りはやや中反りに近くなっています。

正中2年は鎌倉時代の末期です。鎌倉末期ともなると備前物でも中によるものが多くなります。特に雲類とも呼ばれる雲生や雲次等にはその特色が著しく、この反りは時代の流行に沿ったものだと考えられます。

鍛は小板目がよくつみ、乱映りが目立ちます。刃文は下半が小丁字、上半が直刃調で、いずれも足や葉がしきりに入っており、匂口は締まりごころ、帽子は僅かに湾れ込み、先は小丸に返っています。表の区上に秩父大菩薩の神名が、表に同じく腰に梵字の彫り物があります。

地刃の出来が見事であり、かつ健全で、景光の作としても傑作とされる品です。景政だけの作銘のものには、これだけの出来の品は確認されておりません。

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