太刀 銘 筑州住左(号 江雪左文字)について
この「太刀 銘 筑州住左(号 江雪左文字)」は、後に北条家の宿老板部岡江雪(伊豆狩野庄田田中郷の僧・越中守融成で、慶長十四年六月三日没)が所持することとなった太刀です。『北条後代記』によれば、小田原落城のときに江雪が太閤に献じ、さらに秀吉より家康に贈られ、頼宣以来は紀州家に伝えられたとのこと。
さらに『小田原戦史』によると、関ケ原戦では江雪が家康の上使として小早川秀秋の陣へ赴き、最終的には秀秋が裏切ることとなった際、家康からこの太刀を与えられて近侍したとのこと。慶長九年には家康の招きを受け。江雪の次男である岡野三右衛門房次が紀州頼宣に仕えたのでこれを献じたとも考えられています。
なお、現存する在銘の大左の太刀は、このひと振りのみとなっています。長さはおよそ78.2cm(二尺五寸八分)で、反りはおよそ2.6cm(八分五厘)。鎬造、丸棟で、中大鋒。地鉄は板目肌がよくつんでいるほか、地沸きが深くつき、地景が入ります。
刃文は、湾れに互の目が交じり、大乱。足入り、砂流しがかかって、匂深く、沸がよくついています。帽子は、横手あたりを高く焼いて乱込み、先をわずかにたるませて深く返っているほか、裏は大きく乱れをうち、突き上げて返っています
裏表に棒樋があり、確認できる丸留めは後彫りです。茎は磨上げで、大筋違の鑢目がのこり、目釘孔は五つ。茎先の棟寄りには、細鏨で「筑州住左」と切られています。
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