『刀 銘 国広(國廣)』は、一般的な日本刀のなかでは比較的おとなしい出来に見えるのではないでしょうか。実はこのつくりこそ、刀匠である国広の代表的な作風なのです。年紀こそ確認できませんが、慶長十四年頃の作で、国広が晩年に作ったものだと考えられています。

国広の壮年期の作品は覇気に満ちていますが、この刀にはそれが見られません。かわりに穏やかな静けさを感じられるほか、地刃も姿も自然で、無理がありません。この時代は徒歩で戦うことがおおくなったことから、こうした反りの浅い身幅のある打刀はもっとも合理的な形状だったと考えられます。

ただし国広は当時、すでに八十歳を超えていたことから、この時代の作の多くは本人ではなく、監督する門下によるものでしょう。とはいえ作刀にきびしい国広のことですから、おそらくみだりには銘を切らせなかったはず。たとえ門下の作であっても、自身の名に恥じない出来のもののみに許したのではないでしょうか。

 

この『刀 銘 国広(國廣)』は、長さがおよそ71.8cm(二尺三寸七分)、反りがおよそ1.0cm(三分二厘)です。鎬造、三ツ棟で、反りは浅め。中鋒の延びた、いわゆる「慶長新刀」として典型的な打刀となっています。

鍛は板目、全体的に流れごころで、肌はザングリとして地沸よくつき、地景が交じっています。刃文は少のたれに互の目を交じえており、足が入り、匂深く小沸よくつき、砂流しかかって、金筋所ヵに入り景色を添え、荒沸が叢に交じっています。帽子は、僅かに乱込み、表裏とも尖りごころに掃掛けているのを確認可能です。
茎は生ぶで、先はやや細って、刃上がりが栗尻となり、鑢目は大筋違。目釘孔は1つで、目釘孔の下のわずか棟寄りに大振りの二字銘が切られています。

 

この時代の国広の銘は、「国の字の右肩が一度おちている」「広(廣)の字が、横に広くなり、鏨は全体的に細くなっている」などの特徴があります。鑢目の大筋違も注意したいところです。

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