刀 銘 出羽大掾藤原国路について
「刀 銘 出羽大掾藤原国路(出羽大掾藤原國路)」を作成した国路(國路)は、国広門下の逸足の一人です。国路の技量は一門の中で最も器用であり、国広のような大きさは感じられないものの、その作域は極めて広く何でも作れたと考えられます。
銘に「慶安三年庚寅九月吉日、七十五歳作之」と切られた刀が存在することから、明暦三年は彼の八十二歳にあたると考えられます。国路の受領は、慶長十八年三月以降、同二十年三月以前であることは明らかです。恐らく、慶長十九年に師の国広が没しているため、その後に受領したのでしょう。さらに彼は伊賀守金道の門にも学んだとされており、その技術は帽子の作風にも顕著に表れています。慶長二十年の銘に比して、上から下に次第に銘字が大きくなる傾向が見られるのは、元和四、五年ごろからです。
彼の代表作の1つでもある「刀 銘 出羽大掾藤原国路」の長さは、およそ74.2センチ(二尺四寸五分)、反りはおよそ1.8センチ(六分)です。鎬造り、庵棟、反りは浅めで、中鋒は延びごころ。この時代の打刀としては、比較的姿が良いと言えるでしょう。鍛は板目が柾がかり、よくつんで地沸が厚く、所々に飛焼があります。また総体に冴えて明るいです。
刃文は小のたれに、互の目が交じり、足・葉よく入り、砂流し頻りかかります。匂あくまで深く、沸はやや荒めでむらだっていて、金筋かかるなど、刃中のはたらきが豊富。帽子はのたれ込んでいて、先は小丸、ほとんど三品帽子風に尖り、掃き掛けています。茎は生ぶ、先は栗尻、鑢目は大筋違いで、目釘孔は一つです。
二文字目の「羽」が目釘孔にかかる形で八字銘が見られます。始めはやや小さく、下の字はやや大きく中央いっぱいに切れている形です。