脇指 銘 和泉守国貞(草書銘)について
和泉守国貞(國貞)の草書銘に関して、経眼したものの中で最も古い記録は生保二年八月日です。ついで正保三年二月、同年八月、さらに慶安三年に作刀の記録があります。また、慶安二年と慶安四年の作品は楷書銘です。
草書銘については、藤代義雄により「二代真改国貞の代銘」とする説が提唱されて以来、これが主流の見方となりました。しかし、銘字の書体が年代ごとに様々見られることから、国貞の晩年には複数の代作が存在した可能性も否定できません。仮にこの草書銘の作が同一人物の手によるものであると仮定しても、その作者は真改ではない人物かもしれません。「慶安二年八月日紀の刀二口や、同四年紀の脇指銘が、真改代銘の楷書銘の作である」ということをふまえても、議論の余地があります。
この『脇指 銘 和泉守国(國)貞(草書銘)』の長さはおよそ44.5cm(一尺四寸七分)で、反りはおよそ1.2cm(四分)です。冠落し鎬造で、庵棟、中鋒。反りは浅めで先反りごころとなっています。鍛は板目で、肌は流れるように柾目がかり、地沸がよく付き、地景がよく入って明るく冴えています。
刃文は小のたれに互の目が交じり、丁子足が入るなど、全体的に匂いが深く小沸がよく付き、砂流しがかかっています。帽子は先が直ぐに小丸です。やや長く返って先は掃掛けています。表の腰元には薙刀樋が搔き流され、裏には護摩著が見られます。茎は生ぶで、先端は栗尻、鑢目は大筋違いです。
目釘孔は一つで、その下の棟寄りに草書体で五字銘が切られています。なお、国貞という刀工は入道後、自らを「道和」と称しました。入道後に彼が切った草書体の銘は、「道和銘」とも呼ばれます。
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