正弘は、国広の甥とされる刀工です。慶長11年の記録によれば、現存する作品は三口のみです。国広の門下としては比較的早期の受領であり、兄弟子格だったと考えられるのではないでしょうか。『治工銘集誌』では「国広が代を勤むると云えり、至って上手也」とも評されています。

慶長19年に国広が亡くなった後、本国の日向に帰ったといわれます。日州住とあるほか、「日州飫肥住」と銘した作品も存在します。記録では正弘が大隅守に任じられたともありますが、大隅守と銘打った作刀は確認できません。

 

この「刀 銘 大隅掾藤原正弘 日州住」は、長さがおよそ80.6センチ(二尺六寸六分)、反りはおよそ1.2センチ(四分強)です。鎬造りで、三つ棟、反りは浅く長大な刀身。鍛は板目で杢交じり、総体に流れごころがあり、肌立っています。地沸が厚く、地景が入ってザングリとし、棟焼頻りにかかります。

刃文は互の目乱れ。足入りや丁字心の刃が交じります。砂流しがかかって匂いが深く、荒めの沸が付いています。裏面には所々に飛焼がかかり、焼き込みが深いです。帽子はわずかに乱れ込んでおり、先端は丸く、掃掛けています。

茎は生ぶで、先端は刃上がりの栗尻となり、鑢目は大筋違いです。目釘孔は一つあり、表の目釘孔の下、棟寄りには細鏨の七字銘が切られています。裏には「日州住」という添銘を確認できます。

 

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