関東大震災と刀剣界
前古未曾有の今回の震災はほとんど東京市の三分の二を灰燼にした。刀剣界の被害もまた決して少なくない。就中刀剣商は今回火災の危に遭った下町に多かったため、全滅と言ってよい。山の手にいた二、三の他は刀剣・小道具一物も出す事なく焼失してしまった。今記者の知っている中で罹災の人々を挙げれば、左の如くである。
杉山茂丸氏(愛剣家) 全焼 刀剣数百振焼失
杉原祥造氏(愛剣家) 別邸全焼 被害程度不明
本阿彌琳雅氏(鑑定家) 全焼 留帳全部焼失
本阿彌光遜氏(鑑定家) 全焼 台帳全部焼失
小倉惣右衛門氏(刀剣商) 全焼 名刀数百振焼失
橋本元佑氏(刀剣商) 全焼 刀剣・小道具焼失
湯川芳之助氏(刀剣商) 全焼 刀剣・小道具焼失
田口清治郎氏(刀剣商) 全焼 刀剣・小道具類無事
笹田傳治郎氏(刀剣商) 全焼 刀剣類少しく持ち出す
佐々木照則氏(刀剣商) 全焼 被害程度不明
飯田 亘氏(刀剣商) 全焼 被害程度不明
古川銓吉氏(刀剣商) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
日野雄太郎氏(刀剣商) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
平井千葉氏(研師) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
小松邦芳氏(鞘師) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
石川周八氏(研師) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
藤代福太郎氏(研師) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
土屋恒次郎氏(研師) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
山堀正治氏(鞘師) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
岡安清八氏(研師) 全焼 刀剣・小道具類少しく持ち出す
杉山氏の刀剣類は全て網屋の倉庫に保管してあったが、網屋の蔵が落ちたので全部烏有に帰した。しかし、築地の住宅・台華社共に焼失したから、杉山氏の刀はどこへ置いても駄目だった。
琳雅老は家財の幾分は持ち出したが、その持ち出し先で焼失してしまった。幸いに金庫が無事だったので、刀剣類その他貴重品は全部無事だったのは不幸中の幸いである。だが留帳三百冊は灰燼となった。この国宝とも言うべき唯一の名刀戸籍原簿は再び得られない。本誌へその百分の一位連載したものが永遠の記念となった。返す返すも痛惜すべき事である。
光遜氏は下座敷にあった品は取り出したが、二階まで手が回りかねて台帳全部焼失した。ただ研ぎを引き受けてあった刀剣その他預かりの刀剣はことごとく無事に取り出した。
網屋小倉氏は平生から刀剣を営業にするというよりも深き趣味を持っていて、名刀が手に入ればまず種々の拵をして楽しんでいた。故に同氏の倉庫中には名刀数百振、これを時価に見積もれば優に百万円と噂されていたが、蔵もろともに灰燼となった。これは本阿彌家留帳と共に今回の災害中、刀剣界の受けた最大の被害である。
橋本元佑氏は金庫の中からわざわざ貴重品を持ち出して籾山半三郎氏の別邸へ避難したが、そこで焼いてしまったそうである。刀剣も小道具もあったが、貴金属の方が多く、これも損害高は十数万円に上るそうである。
田口氏は大きな金庫が安全だったので、全部助かったということである。倉庫が役に立たぬ代わりに金庫が役に立つことを今回は有力に証拠立てた。
九段の遊就館は大破してほとんど使用できず、当日の観覧にも看守にも死傷者があったそうだが、火を発しなかったため陳列品は無事らしい。
旧大名家では、駿河台の戸田家は焼失したが、有名な古備前正恒その他は安全なりしや否や不明である。秋元子爵家では井戸の中へ投げ込んで逃げたため焼失は免れたが、錆が甚だしかろう。
谷森氏の蔵品はどうなったか、浅草の松浦家は無事だったが、有馬家の名刀はどうなったか、本所の藤堂家その他華族の蔵品が無事だったかはまだ不明である。
安田善雄氏の焼死は惜しい事である。氏は刀剣は集めなかったが、珍書蒐集家だけに刀剣に関する書籍が大分あったが、無論それは松の屋文庫数十万冊の貴書と共に烏有に帰した。
しかし、愛剣家が刀剣界の人々の中で悲惨な死を遂げた人の一人もいなかったのは何という仕合わせな事であろう。我々をはじめとして、今回の震災のために営業は休止となり、家財なく生活上の不安に襲われる人々も決して少なくはない。けれども吾人は健康なる体軀の存する限り、万難を排して斯道のために猛進する覚悟である。地方の読者諸君もこの際、奮って声援あらん事を望む。
いずれにしても南人社の助かったのは奇跡の一つである。吾人は到底駄目と覚悟して、四日三晩家を捨て露営した。老母と子供を連れているから何一物持ってはいない。焼ければ文字通りの赤裸で、焼けなかったら全部残るという賭博のような覚悟だった。それでも盗人が来てちょいちょい持っていったらしいが、そんな事は何とも思わない。
「日本刀」の紙型が全部印刷所に預けてあったために焼失したから、今後の再刊は不可能である。また、ほとんど出来上がりかけていた「縮刷刀工総覧」も焼失した。本誌九月号も一日に出来てくるところを焼かれてしまった。その他印刷所に預けてあった書籍紙型約十八個全部祝融氏(祝融とは中国の「火を司る神」)の手に帰した。
損害高もかなり大きいが、一家の無事だった事が何よりである。東京の印刷所はほとんど全滅で、この際本紙を活字版で発行する事はほとんど不可能であるから、当分謄写版で発行する。九月号は休刊にして十月号から発行するが、いずれ年内に四冊発行して回復する覚悟である。
謄写版刷りとすると、第一に口絵が付けられない。しかしこれは、口絵だけ刷る所が出来次第付ける考えである。第二に本文中に写真版の挿入木版その他を入れる事ができない。第三に内容が幾分減ずる事である。しかし、これらは追々に復旧する覚悟である。印刷所が復活すれば、直ちに活字の雑誌を発行する。
吾人はこういう際に決して挫折はしない。艱難来れば来るほど勇気を奮い起こす。
最後に臨み、諸君の深き同情の御見舞いを感謝します。
九月廿九日朝川口生
※本文は大正十二年十月発行の「刀の研究」所載。震災から間もなくに書かれ、緊急に孔版印刷で制作されている。川口は明治十六年、高知県生まれ。昭和三十九年没。「刀工総覧」「日本刀雑話」など著書多数。室津鯨太郎の筆名での執筆もある。
関東大震災で被災した刀剣では水戸徳川家の「児手柏」や「燭台切光忠」以外にあまり知られていないが、内務省社会局編「大正震災志」(大正十五年)と国華倶楽部編「罹災美術品目録」(昭和八年)には芸術品・史的古物・古典籍の損害が個人別に報告されている。上記の杉山茂丸・本阿彌琳雅・本阿弥光遜・小倉惣右衛門・橋本元佑各氏の蔵刀のほか、膨大な数の刀剣・刀装具・武具等の被害の実態を知ることができる。
現下のコロナ禍も災害ではあるが、幸い、刀剣に直接の被害は及んでいない。過去に刀剣の先達が味わった過酷な体験を今後の教訓とすべく、紹介した。
(刀剣界新聞-第54号 T)