国宝・重要文化財・重要美術品
国宝とは、刀剣など有形文化財のうち、特に価値の高いものを、国家が保護するために与えた資格。初めは明治になって、社寺の宝刀の散逸を防ぐため、明治30年6月、法律第四十九号をもって、古社寺保存法が制定された。まず内務大臣の監督下に、文化財の審査機関として古社寺保存会を設けたそれの調査結果に基づいて、「特ニ歴史ノ証微、又ハ美術ノ規範トナルベキモノ」を国宝に指定し、それの保存に必要な保存金および補給金を支給することにした。その代わり国宝を処分したり、差し押さえることは禁止され、種々の罰則が定められた。
刀剣については、明治22年から、全国宝物取調局監査掛だった今村長賀が、古社寺保存会委員となり国宝の選定に当たった。最初に指定されたのは明治30年12月28日付、丹生都比売神社蔵の兵庫鎖太刀と銀銅蛭巻太刀、つまり外装によるものだった。刀身で最初に指定されたのは明治42年9月22日付、白山比咩神社の粟田口吉光・長船長光、塩竃神社の来国光・雲生、出雲神社の長船光忠などであった。
古社寺保存法の対象は社寺の所有物だけだったが、個人の所有物にも対象をひろげて、昭和4年3月28日付で、法律第十七号をもって国宝保存法が制定された。旧法では国法の処分・差し押えを禁止していたが、新法では主務大臣の許可がなければ、輸出または移出できないことになった。古社寺保存会も国宝保存会と改称された。これによって指定されたのが、いわゆる「旧国宝」で、終戦までに5790件の多きにのぼった。
戦後になると、昭和25年5月10日付、文化財保護委員会告示第二号をもって、文化財保護法が制定された。これによって従来の国宝という資格は取り消され、重要文化財と改称された。そしてその中から特に貴重なものが、いわゆる新国宝に指定された。その手続きは、まず文化庁の工芸課から提案された候補物件、たとえば刀剣を、工芸品(染織・漆工・陶磁・金工・甲冑・刀剣)の文化財専門調査会が、専門的な審議をする。
ここで資格あり、とされると、文化財保護審議会に提案される。その委員は、建造物・絵画・彫刻・工芸品・書籍・古文書・考古資料・歴史資料などに分かれている。当然大部分は、刀剣には素人であるが、ここで承認されると、その答申をうけて、文部大臣が決定し、官報に告示される。国宝に指定されると、所有者はその保存・管理・公開・活用などについて、文化財保護法の規定によって制約をうけることになる。
重要文化財とは、昭和25年5月30日公布の法律第二百十四号「文化財保護法」に基づき、認定された刀剣ほか、国宝につぐ美術品または歴史的資料。従来の「旧国宝」中、「新国宝」にならなかったもの、および旧重要美術品の中から選定されたものが大部分である。その指定審議過程は国宝と同じ。指定品を譲渡する場合は、文化庁が買い上げを欲しないものに限り、自由であるが、所有者変更届の提出、保管場所の制限などが義務づけられている。
重要美術品とは、昭和8年4月1日公布の法律第四十三号「重要美術品等保存に関する法律」に基づき、認定された刀剣ほか、重要な美術品または歴史的資料。海外流出禁止を目的としたものだけに、特別な場合、文部大臣の許可がない限り、海外への輸出も搬出もできない。内容的に「国宝」につぐものが指定されている。