会津正宗(あいづまさむね)

  • 御物
  • 刀 無銘 相州正宗 (名物:会津正宗)
  • 宮内庁蔵
  • 長さ 2尺1寸5分余(65.2cm)
  • 反り 4分4厘(1.36cm)

 

 

会津正宗は相州正宗作の刀で、「享保名物帳」に所載する。もと会津城主:蒲生氏郷が四百貫で求め、埋忠寿斎に金具を作らせている。氏郷の嗣子:秀行が慶長17年(1612)5月14日に早世すると、その遺物として徳川家康に献上した。それを尾張藩主:徳川義直に与え、義直はまた将軍:秀忠に献上した。秀忠が寛永9年(1632)正月没すると、その遺物として再び義直に贈られた。ただしその日付については、正月25日説と、2月26日説とがある。
義直の子:光友が元禄6年(1693)4月25日隠居すると、同月28日、その挨拶として将軍に献上した。爾来、明治維新をむかえるまで徳川家の蔵刀であった会津正宗は徳川家より明治12年(1879)12月30日、大久保一翁の取り次ぎを経て、有栖川宮熾仁親王に献上された。明治18年さらに明治天皇に献上され、爾来、御物となっている。会津正宗の刃長について「享保名物帳」には2尺1寸6分(約65.4cm)とあるが、将軍家「御腰物台帳」には2尺1寸5分余(約65.1cm)のほうが、原寸に合致する。

名物帳には「御物 会津(正宗) 磨上 長さ弐尺壱寸六分 代不知 表裏樋。会津を領す蒲生飛騨守氏郷卿代四百貫に被求、秀行卿へ伝(う)。家康公へ上る、尾張大納言義直殿へ被進、秀忠公へ上る。又為御遺物御拝領。又源慶老御隠居之刻上る。」

徳川将軍家の御腰物台帳には、「無銘会津正宗 御刀 長二尺一寸五分余(約65.1cm)
元禄六酉年(1693)四月廿八日、御隠居之時、尾張大納言様(徳川光友)上る。
是者、会津城主蒲生飛騨守氏郷所持。秀吉(豊臣)江伝江、権現様(徳川家康)江上る。尾張殿(徳川義直)江被遣。御隠居之時、常憲院様(五代将軍綱吉)江上る。
此御刀、明治十二年十二月三十日、有栖川宮(威仁親王)江被為進。但し大久保一翁殿(元老院議員)取扱なり。」
鞘書に「元禄六酉年四月廿八日、御隠居御礼之時、尾張大納言殿上」
「駿府御分物帳」には、中之御腰物に記載がある。
「一 正宗 あい津より(蒲生秀行)」

形状は、鎬造、庵棟、元先共に身幅が広く、やや大切先で反りは浅く、鎬幅が狭いが鎬筋は高い。地鉄は、指表は大板目流れ、肌立ち、裏は小杢目つまる。刃文は表は小のたれごころの広直刃、小足入る、裏は4.5cmから4.8cmくらいおきに大きい尖刃交じり、刃中はほつれて荒沸がつき、棟焼が二三個所ある。帽子は、掃掛けて焼詰める。彫物は、表裏に少し樋先の下る棒樋をほり茎先で掻流している。茎は、大磨上、無銘、目釘孔二個、栗尻、鑢目は勝手下りとなる。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

 

(法量)
長さ 2尺1寸5分余(65.2cm)
反り 4分4厘(1.36cm)
元幅 9分8厘(2.96cm)
元重ね 2分(0.6cm)

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