芦葉江
芦葉江(あしばごう)
- 刀 無銘 江義弘(号:芦葉江)
- 高松市歴史資料館蔵
- 長さ 2尺3寸6分(71.5cm)
- 反り 8分6厘(2.6cm)
芦葉江は郷義弘作の刀で細川忠興(三斎)が詠んだ「なには江のうどのの里に来てみればあしとは見えぬ義弘の太刀」の和歌に刀号が由来する。身幅が広く、富田江、稲葉江と同時期の南北朝期に入った作といわれ、革包鬼丸造拵えが附帯する。伝来については鴻池家の倉札が付いているところから一時期同家が所蔵していたと認められる。やがて揚・大西家から下村勲氏へと移り、下村幸子氏から高松市歴史資料館に寄贈となった。 それ以前の来歴については、延元5年(1340)に後村上天皇が水無瀬神宮に奉納した説がある。しかし、天皇が大磨上げ無銘のしかも当時の現代刀を奉納することは不自然であってこの説は成り立たない。また本阿弥光遜先生の説では豊臣秀吉から小西家(隆佐、行長)が賜ったといい年代的にも合致する。その後、古高松の揚家から大西家へ移った。附たりの革包太刀拵(鬼丸拵)は江戸時代末期乃至明治、大正期の製作という。芦葉江は「享保名物帳」には記載されていないものの、今日まで大切に保存され続けた名刀である。
郷義弘は越中国松倉郷に在住し、松倉郷或いは「郷」の音が「江」に相通ずるところから、単に「江」とも呼ばれ、正宗十哲の一人として名高い。古来、義弘の遺例には貞宗同様に在銘作は皆無であり、江と極められているものには、地がねが細かに約んで、直刃調のおとなしい作柄と、比較的盛んに乱れたものとがあり、その共通するところは正宗・則重に比べると地景・金筋はさまで目立たないが、刃中に沸足がよく働き、地刃が明るく冴え、肌合いに柾ごころを交える点といわれている。
(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)
(法量) | |
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長さ | 2尺3寸6分(71.5cm) |
反り | 8分6厘(2.6cm) |