火車切広光(かしゃぎりひろみつ)

  • 指定:重要美術品
  • 脇指 銘 相模国住人広光 康安二年十月日 (号:火車切)
  • 佐野美術館蔵
  • 長さ 1尺2寸6分半(38.3cm強)
  • 反り 2分(0.7cm)

 

葬送のとき、にわかに暴風雨または雷雨を起こし、死体を奪ってゆく妖怪を火車という。これは悪業を積めば臨終に火ノ車が迎えにくる、という仏教説話に由来したものであるが、後世にはそれを魍魎という怪獣、または老猫と考えた。それで火車を切った刀を、「火車切」と呼んだ。上杉家の「火車切広光」は刃長1尺2寸7分(約38.5cm)平造りの脇差で、「相模国住人広光 康安二年十月日」と在銘、「景勝公御手選三十五腰」の一つであるが、命名の由来は明らかでない。謙信当時の黒蝋色塗鞘小さ刀拵が附帯している。

平造、三つ棟、身幅広く、重ねやや薄く、寸延びて、反り浅くつく。鍛えは板目肌大模様で、杢交じり、棟寄りに流れ柾あり、肌立ちごころに、地沸厚くつき、地景入り、地斑交じる。刃文は丁子に互の目交じり、足・葉入り、飛焼・湯走り・棟焼頻りにかかって皆焼となり、匂深で沸つよくつき、砂流し・金筋かかる。帽子は乱れ込み、突き上げごころに、表は尖り、裏は小丸に、ともに返りを深く焼下げる。彫物は表に三鈷附剣と不動明王種子、裏に護摩箸と薬師如来種子。茎は生ぶ、先栗尻、鑢目浅い勝手下がり、目釘孔二。

付属の黒漆小サ刀拵は上杉家の拵の特色をよく示し、柄は中央が細くくびれる立鼓形となり、黒鮫に黒革巻き、鞘は先が尖りごころで黒漆塗り。目貫・縁は金枝菊文、栗形・返角は室町後期の独特の形で、現在の鐔・小柄は後補である。

「上杉家刀剣台帳」
乾五十二号 銘文等:脇指 相模国住人広光 康安二年十月日 号銘等:火車切広光 刃長:一尺二寸七分 外装:脇指拵 景勝公御手選:御重代 三十五腰の内
指定月日等:重要美術品(小サ刀刀拵附) 昭和十二年十二月二十四日

乾第五拾弐号(印)
一 広光短刀 火車切ト号ス 白鞘
銘 相模国住人広光 康安二年十月日
長 壱尺弐寸七分 梵字剣護摩箸
拵 塗鮫「柄」革巻頭角縁金秋野玉縁銀目貫金菊小柄「二」「一ハ」赤銅魶子桐紋ノ蓋「□□散シ」仝波二蛟竜「裏ハ金カ哺之カ」黒塗鵐目金下緒黒糸平打袋紺鈍子 但拵別ニ袋入
御由緒 「○」御重代三拾五腰ノ内、
刀剣四番桐塗箪笥 四ノ段

ほかに、徳川家康の臣:松平五左衛門尉近政が、友人の妻の葬式に行ったとき、黒雲の中から手が伸びて、棺を持ち去ろうとしたので、藤島友重の刀でその手を斬り落とした。爪が三本あって、そのつけ根には黒い毛が生えていた。この「火車切友重」は、近政の娘が諏訪美作守頼雄に嫁ぐとき、婿引き出として爪とともに頼雄に贈った。頼雄は本家にあたる信州諏訪城主:諏訪因幡守頼水に所望され、友重を頼水に譲った、という。武田勝頼の臣:多田久蔵(三八)も、伯父の葬式のとき、襲いかかった火車を斬った、というが、刀銘は伝えるところがない。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 1尺2寸6分半(38.3cm強)
反り 2分(0.7cm)
元幅 1寸1分弱(3.2cm)
元重ね 2分弱(0.6cm)
茎長さ 3寸1分半(9.5cm)
茎反り 僅か

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