小竜景光(こりゅうかげみつ)

  • 指定:国宝
  • 太刀 銘 備前国長船住景光 元亨二年五月日 (号:小竜景光)
  • 東京国立博物館蔵
  • 長さ 2尺4寸3分9厘(73.9cm)
  • 反り 1分弱(3.0cm)

 

 

小竜景光は備前長船景光作の太刀で楠木正成の佩刀と伝えられる。鎺元に小振りの剣巻龍の彫物があるので小竜景光、磨り上げてあるため、その竜が鎺の下から覗いた格好になっているため、除き竜景光ともいう。また、大楠公の佩用と伝えることから楠公景光ともいう。万里小路藤房が楠正成に贈ったとか、豊臣秀吉が徳川家康に贈ったとかいう伝説がある。天保(1830)のころ、大坂の刀屋が、河内(大阪府)の百姓家にあった楠正成の佩刀、という触れ込みで、江戸の本阿弥家に折紙をもらいに来たが、本阿弥家では信じ難いとして、折紙を出さなかった。刀屋が落胆しているところを、幕府の代官:中村八太夫(覚太夫)が、三島まで追いかけて行って、買い取った。
八太夫死去後の弘化3年(1846)、網屋という刀屋がそれを買って、長州の毛利家に売っていたが、毛利家では本阿弥家が折紙を出さなかった話を聞くと、返却してきた。網屋をそれをさらに首斬り役の山田朝右衛門吉昌に売った。弘化4年(1847)、朝右衛門の義兄弟:三輪徳蔵を召し抱える交換条件として、小竜景光は時の大老:井伊直亮に召し上げられた。その子:直弼が横死すると、徳蔵は解雇され、小竜景光も山田家へ返された。
山田家の刀剣押形である「山田押形」に所載する。
「山田押形」には「丙午三月十日網屋惣之助持参 角棟 長サ弐尺四寸三分ヨ(余) 反り九分半 彦根様江上ル也
弘化三丙午年三月十日銀座弐町目あミ屋惣右衛門伜惣之助持参也 御代官御勤被成候中村八太夫御所持也(中村八太夫は覚大夫ともいい、鐔の研究家)」
井伊家に上る以前の弘化4年に固山宗次が生ぶの姿に復元した写しを製作しており、また山田家に返ってきてからの文久2年に同じく宗次が今度は磨上の態の写しを製作している。なお、彫物については固山宗次の高弟で彫技の名人であった泰龍斎宗寛が施している。
「楠正成所持効景光作 備前介宗次鍛之 弘化四年二月日 彫宗寛(泰龍斎宗寛)」(※「効」は「ナラウ」、模倣する手本として真似をする)
「備前国長船住景光 元亨二年五月日(棟に)文久二年五月 応山田吉年好 備前介宗次写之」
明治6年4月、山田家から時の東京都知事:大久保一翁の手を経て、宮内省へ献上された、と宮内庁の記録にあり、皮包み鞘の拵えが附帯する。山岡鉄舟が買って献上したとか、明治天皇が軍刀にされたとの逸話もある。

井伊家の「腰物鎗長刀類拵書帳」(彦根城博物館蔵)に拠れば、景光の項に「此鏗、元は御代官中村八太夫所持之処、其後払請、山田浅右衛門取入所、此度、此鏗に無訳き楠子之末と云ふ者の系図を仮り用ひ、楠子之帯料、又ハ五三桐之紋在之ニ付、楠子之後秀吉公より拝領すと説を添へ、山田より申出ル所、楠子之末葉と云ふ系図ニも太刀の事更ニ不見、山田書かえる次第等諭するたらず、山田へ段々申談し、此度、孫召抱たる礼ニ受納する所なり、此鏗ニ付、書付共有之」とあり、山田浅右衛門の孫が井伊家に仕官した時に御礼として献上されたことが分かる。
※ 鏗(金偏に身)(カウ、キヤウ)

小竜景光の拵えの覚書
「覚 一、備前国長船住景光太刀 但休鞘ニ入
拵 革柄 鐔赤銅桐金紋 切羽六枚 内四枚金着 弐枚赤銅 鞘梨子地桐紋 惣金具赤銅桐金紋 以上」

備前景光は、長光の子で、長船三代目であり、片落ち互の目を完成したことで名高い。景光の製作年代は、鎌倉時代末期の嘉元から南北朝期はじめの建武までの30余年に亘っている。作風は直刃仕立てに互の目を交えて逆がかるものや、片落ち互の目を主調とするものなど、概して長光より穏やかな出来口であるが、鍛えはよく錬れてつみ、時には、父長光以上に優れた肌合のものが見られることが注目される。また長光には少ない短刀が多く現存していることも特色といえる。

形状は、鎬造、庵棟、磨上げながら腰反りやや高く、中鋒となる。鍛えは、小板目最もよくつみ、乱れ映り見事に立つ。刃文は、小丁子刃、小互の目交じり、足・葉頻りに入り、総体に逆ごころとなり、匂口締まって冴える。帽子は、表裏ともにのたれ込み小丸。彫物は表裏に棒樋を彫り、樋の中の表には倶利伽羅竜、裏には種子(不動明王)を浮彫りにする。茎は、磨上げ、先浅い栗尻、鑢目は勝手下がり、目釘孔三。

彫物は佩表の樋中に、腰に小さめの真の倶利伽羅、また、佩裏には同じく樋中に不動明王の梵字を彫っており見事な書体である。佩表の倶利伽羅は、極めて立派なもので信仰対象として優れたものである。倶利伽羅の三鈷剣はやや細身で簡素ながら完璧な造型であり、さらにこの剣に巻きつく倶利伽羅竜王の姿も斬新で流麗であるとともに、一方その竜の顔は正に剣を呑まんとする烈しさを示している。特にこの竜の四肢の踏張りを強調し、むしろ誇張ともいえる力強さを見せているのが素晴らしい。修験道においては、倶利伽羅竜王は極めて重要な位置を占める崇拝対象であり、倶利伽羅は竜そのものを不動明王とし、四本の足を大威徳、降三世、軍茶莉、金剛夜叉らの四明王とし、あわせて五大明王として象徴するもので、竜の足も極めて重視されるべきものであるが、この小竜景光の竜ほど力強く見事に四肢を表現したものは他にはないといわれている。まさに古今随一の倶利伽羅であり、景光自身相当の宗教的素養を持っていたが、あるいはよほどすぐれた修験者の指導によるものであろう。

因みに大和の信貴山孫子寺には、「依宗」と在銘の太刀が、楠正成所持として伝来していた。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)
#小竜景光

 

(法量)
長さ 2尺4寸3分9厘(73.9cm)
反り 1分弱(3.0cm)
元幅 9分6厘(2.9cm)
先幅 6分6厘(2.0cm)
元重ね 2分3厘(0.7cm強)
先重ね 1分7厘(0.5cm)
鋒長さ 1寸弱(3.0cm)
茎長さ 5寸8分(17.5cm)
茎反り 1分弱(0.3cm)

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