村雨
村雨(むらさめ)
「南総里見八犬伝」において、主役の犬塚信乃の持っている村雨、または村雨丸は、それを抜き放てば、切先から露がしたたり落ちること、村雨の如しというもので、足利尊氏関東管領:足利持氏に伝来していた。持氏が永享十一年(1439)、自尽して果てると、村雨丸は近習の大塚巧作三戌が持って、下野(栃木県)の結城城に逃げ込んだ。同城も嘉吉元年(1441)四月、落城のやむなきに至ったので、匠作は十六歳の一子:番作一戌に、村雨丸を渡して脱出させた。
番作は旧領の武蔵国大塚(東京都)に帰り、姓を犬塚と改めた。そして長男:信乃戌孝に、村雨丸を譲った。ところが、信乃の伯母:亀篠が、夫の蟇六と謀って、村雨丸をだまし取ろうとしたことを発端として、信乃は村雨丸をめぐる騒動に巻き込まれて行く、という筋書きになっている。
この小説が歌舞伎に仕込まれ、「墨川高評楼」(すみだがわうわさのたかどの)などになり、村雨丸の名がひろく一般に流布していった。
(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)