龍門延吉
龍門延吉(りゅうもんのぶよし)
- 位列:古刀上々作
- 国:大和国
- 時代:鎌倉時代後期 永仁頃 1293-1298年頃
龍門延吉は大和五派の千手院派の流れを汲む鍛冶といい、吉野から宇陀へ抜ける吉野郡龍門荘に在住したと伝えることから龍門延吉と呼称されている。平治の乱の後、常磐御前が稚い牛若(義経)・今若・乙若の三児をつれて一時ここに身をひそめたことがある。龍門の地には明治の初年まで山本姓の鍛冶が存続していたが、「古今銘尽」と「往昔抄」に、「大和国吉行子竜門山本長吉作之 嘉暦元年丙寅十月十一日」の太刀図が出ていることから龍門鍛冶の姓は山本であったといわれている。延吉の作品に年紀作はないが、諸書には年代を正応、或いは、文保頃と記している。龍門派は延吉の他には長吉・吉行など「吉」を通字としている。龍門延吉の作域には乱れ映りの立つ鍛えに賑やかな乱れ刃を焼き備前気質の表れたものと、直刃ほつれで大和色の濃厚に示された手の二様がある。また銘字は「延」の字の旁を「正」の略体のように切るものと「氏」のように切るものがあり、概して前者の銘の方に鍛えのよく詰まるものが見られ、後者は肌立つ傾向のものが多い。
龍門延吉の作品は多くは残されていないが、国宝:1振、重要文化財:1振、重要美術品:1振を輩出している。なかでも、国宝に指定される太刀は後水尾天皇の御料であったと伝えるもので金梨子地菊紋蒔絵糸巻太刀拵と藍地菊紋金襴袋が附属している。
太刀 銘 延吉 日本美術刀剣保存協会(刀剣博物館)蔵
長さ:2尺4寸2分半(73.5cm)、反り:9分余(2.7cm)、形状は、鎬造り、庵棟、腰反りで踏張りがつき、反りが高く、やや細身で鎬筋が高い。鍛えは小板目つみ、地沸厚くつき、地景が入り、区際から上、鎬寄りに沸映りが立つ。刃文は下半は出入りの深い乱刃で太い足が入り、上半は直刃が少しのがれごころで、小丁子交じり、小足・葉しきりに入り、沸つく。帽子は小のたれごころ、小丁子交じり、茎は生ぶ、鑢目は勝手下がり、目釘孔二、先は栗尻。区下、目釘孔の上、鎬筋にかけて「延吉」と楷書体の二字銘がある。
太刀拵は金梨子地に菊紋を螺鈿と蒔絵で表した鞘で、金具は金無垢で菊唐草文を高彫した豪華な江戸時代初期の制作で、袋も江戸時代の制作である。
(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)