笹貫
笹貫(ささぬき)
- 指定:重要文化財
- 太刀 銘 波平行安(号:笹貫)
- 京都国立博物館蔵
- 長さ 2尺4寸2分2厘(73.4cm)
- 反り 8分弱(2.4cm)
薩摩国(鹿児島県)の樺山家に伝来した波平行安作の太刀で、「笹貫きの太刀」と呼ばれ、現在は国有となり、重要文化財に指定されている。波平行安が妻に、仕上げの日に鍛冶場を決して覗いてはならぬ、と厳命しておいたのにかかわらず、妻が鍛冶場を覗いてしまったのを大いに怒り、仕上げの途中であったの刀を裏の竹藪に投げ棄てた。その夜より竹藪から夜な夜な妖しい光を発するので、村人たちが恐る恐る行ってみると、そこには刀が切先を上、茎を下を向いた状態で地中に逆さに立っていた。その切先には竹の落ち葉が無数に突き刺っていて、妖しい光を発するので、今度は海に捨てたが、また怪しい光を発するので再び刀を引き揚げた。その話を聞いて、島津家の分家である樺山音久が刀を召し上げて、本家の島津家に献上した。すると島津家でもまた怪異なことが起こったので、再び樺山家に返却された、という伝説がある。ただし、この伝説は、当時の波平鍛冶の居住地が現在の鹿児島市上福元町笹貫だったことから考えられた創作であろう。
薩摩国谷山郡波平の地に平安時代、永延の頃に大和から正国なる刀工が来住して波平派の開祖になると伝える。その子を行安といい、以降その名跡は継承がみられ、門流は蜒々近世末にまで及んでいる。古波平の行安は年紀のあるものは稀有であり、また遺例そのものも極めて少ない。笹貫は、猿投神社(愛知県豊田市)に伝わる行安二字銘の太刀(重文)に次いで古いとされ、波平を冠称する作では最古のもので、年代は鎌倉初期を降らず、或いは平安末葉まで遡るかともいわれている。生ぶの太刀姿は優美な曲線を保ち、尚凛然として力強さがある。地がねは光世・行平らにも相通じる潤沢でねっとりとして軟らか味のある独得の鍛えをみせ、区上を焼落としておのずからなる打のけ・ほつれを交えた直ぐの刃文には自然にして索朴の妙があって味わい深い。匂口は此の派のものとしては比較的に明るく、またうるみも少ない。直刀は別として湾刀の中でこれほど大きく焼落としたものは他に類がなく、注目されるところで古い焼入れの形態を踏襲しているものとみられる。茎は朽込みがあるが、それが苦にならないほどに上身は出来が抜群で且つ健体であり、現存する古波平の白眉と称すべきである。刀身の棟には切込みも現存し、古の武勲のほどが偲ばれる。
笹貫なる号の由縁は「波平刀工系譜」(明治19年、島津家御家史編集の折に波平六十四代四郎兵衛安行に尋ね合わせて記したもの)に拠れば次のような奇しき物語に基づいてる。
「行安が末代まで残る一生一代の名刀を作ろうと思い立ち、妻に完成の日まで鍛冶場に近ずかないように言いおき仕事に取り掛かった。ところが、作業も順調に捗りいよいよ茎に鑢をかける最後の仕上げの段階になった時に、幾日も籠もり切りの夫を案じた妻が戸を開けて中を覗いてしまったのである。それに気付いた行安は激怒し、精魂を尽した作品もこれで穢れたとして、刀を金床に切りつけ、そのまま裏の竹藪に投げ捨てたのであった。すると夜な夜なその竹藪から怪しい光が発するようになり、村人は恐れて附近を通行しなくなった。そこで庄屋達が近くを探索したところ茎から地中に埋まって切先が天を睨んだ笹貫の太刀を発見した。よく見ると切先には、折しも上から舞い落ちてくる笹の葉が無数に貫かれて突き刺さっていたという。」
笹貫の太刀は室町初期応永年間に島津氏の一族、樺山美濃守音久の所有するところとなり、一時島津家に献上されたが、また再び樺山家の有となり、以後同家の重宝として長く珍重された。毎年晴天の日を選んで出せば、きっと吉瑞があると樺山家では伝えていたといわれる。
樺山家は島津家五代当主貞久の弟資久を祖とする家柄で、美濃守音久は同家二代目に当たる。
「波平刀工系譜」の記述ではこの太刀の作者が応永年間の行安であるようにとれるが、これは何等かの誤謬とされ、伝承のある古い行安の太刀をのちの応永年間に樺山音久が入手したと解すべきであろう。
この行安の使用したという笹貫の井戸は波平の井戸の北方約500メートルのところにあり、今日でも浄水が渾々と溢れている。
形状は、鎬造、庵棟(おろしは緩やか)、鎬筋高く、腰反り深く踏張りつき、さまで先枯れとならず、先うつむきごころに小鋒に結ぶ。鍛えは、板目肌流れ、佩表は柾がかり、地沸細かによくつき、総体に軟らか味のある肌合を呈し、白け映り立つ。刃文は、直刃が極く浅くのたれ、刃縁ほつれて、細かに砂流しかかり、区上約2寸2分(約6.7cm)のところで焼落とす。帽子は直ぐに小丸に僅かに返り、佩表は頭の部分のみに小さく二重刃かかり、裏は細かく長く二重刃かかる。茎は生ぶ、先矢筈形となるが、茎尻に忍び孔があったのを僅かに詰めたことに因る。鑢目は不鮮明乍ら筋違のようであり、目釘孔一。
笹貫には、ほぼ南北朝時代の製作と鑑せられる黒漆太刀拵が附帯しており、金具には筆勢のある古い十字紋が散らされている。現在、柄は黒漆となっているが、以前は柄巻がなされていたものか、やや柄・鞘の漆の調子が異なる。島津家の定紋のある太刀の中では最古のものといわれている。
(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)
(法量) | |
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長さ | 2尺4寸2分2厘(73.4cm) |
反り | 8分弱(2.4cm) |
元幅 | 9分9厘(3.0cm) |
先幅 | 6分(1.8cm) |
元重ね | 2分3厘(0.7cm弱) |
先重ね | 1分3厘強(0.4cm強) |
鋒長さ | 8分9厘(2.7cm) |
茎長さ | 7寸7分9厘(23.6cm) |
茎反り | 1分3厘(0.4cm) |