太鼓鐘貞宗(たいこかねさだむね)

  • 指定:重要文化財
  • 短刀 無銘 貞宗 (名物:太鼓鐘貞宗)
  • 長さ 8寸2分(24.85cm)
  • 反り 殆ど無反り

 

 

太鼓鐘貞宗は相模国彦四郎貞宗作の短刀で「享保名物帳」に所載する。太鼓鐘なる称号は、堺の商人:太鼓鐘家にあったことに由来する。元和3年(1617)、卯月4日、徳川家康の十男:徳川頼宣が将軍秀忠に献上する。徳川家康は慶長12年(1607)、愛妾:お勝ちの方が市姫を出産すると、直ちに奥州仙台城主:伊達政宗の嫡子:忠宗と婚約させた。しかし、4歳で幼死したので、慶長16年(1611)、家康は播州姫路城主:池田輝政の5歳になる娘を、お勝ちの方の養女として、忠宗と再び婚約させた。元和3年(1617)12月13日、結婚式をあげ、同月18日、将軍秀忠へ御礼言上にいったとき、忠宗へ備前長光の刀と太鼓鐘貞宗の短刀を与えられた。
伊達家では大鼓磬貞宗とも書き、元禄9年(1696)正月28日、藩主:綱村の養子:吉村が、初めて将軍へお目見えのとき、綱村より譲られた。綱村は享保5年(1720)、これを嫡子:勝代代丸(宗村)へ与えた。以後も同家に代々相伝された。明治16年、仙台より東京の伊達邸へ移した。昭和13年、国宝に指定、戦後、同家を出て重宝文化財に指定される。拵は、柄白鮫に二匹獅子の出し目貫、鞘は黒塗り、小柄赤銅、小ガタナは駿河守盛道、下げ緒は紫色だった。

「享保名物帳」(享保4年)には、当時の所有者は下総国佐倉城主:稲葉丹後守正往となっている。延宝4年(1676)に、本阿弥家より三千貫の折紙を出しているという。享保の当時には稲葉家の蔵品となっているが、のちにまた伊達家に還っており、その間の事情は不明という。しかし、伊達綱村(4代藩主・20代当主)の妻は稲葉丹後守正往の妹:仙姫(稲葉正則の娘)なので、この辺りに起因するものであろうか。伊達綱村と妻:仙姫は延宝元年(1673)12月15日に、幕命により稲葉正則が伊達綱村の後見を目的として婚約し、延宝5年(1677年)に結婚、宝永3年7月4日(1706年)に仙姫は夫に先立って死去してしまう。この婚礼に際して、伊達家では太鼓鐘貞宗を婚礼における贈答品としたのだろう。婚礼などにおける贈答の道具とする場合、刀剣を研磨、拵えの制作、そして、折紙を発行などを行い容儀を整えるのは通例となっている。然りとすれば、婚礼前の延宝4年(1707)に本阿弥家で折紙の代付けを行っているのも得心がいく。しかし、仙姫は宝永3年(1706)に死去してしまったので、兄である稲葉丹後守正往に仙姫の遺物として稲葉家に太鼓鐘貞宗は贈られたのではないだろうか。その兄:稲葉丹後守正往も享保元年(1716)に死去してしまっている。稲葉家としても太鼓鐘貞宗が伊達家における重要な名物だったので、何らかの形で返還したと思われる。享保5年(1720)には再び伊達家の記録に太鼓鐘貞宗は記されている。
「駿府御分物帳」には、上々御脇指に記載がある。
「一 たいこかね貞宗 もり藤四郎(小早川秀包)」
「本阿弥光柴押形」(元和頃)に所載し、「御物」とあるから徳川将軍家の蔵刀を意味する。これは元和3年、徳川将軍家から伊達家に下賜される以前に押形を採取したのであろうか。
「埋忠押形」には、「上様ヨリ拝領政宗殿ト有之 貞宗たいこかね 名物帳太鼓鐘貞宗 ム銘長サ八寸三分 代三千貫 堺ニ太鼓鐘ト家名ノ町人有此者所持 稲葉丹後守」
(追記)「伊達家ト有之 明治十七年拝見 長賀(今村長賀翁)」

伊達家の蔵刀目録には、寛政元年(1789)、御刀奉行:佐藤東蔵が、藩主の命により編集した「剣槍秘録(けんそうひろく)」全四巻、文化14年(1817)3月、田中杢右衛門・村上栄助の両名が編集した「御腰物方本帳」全六巻がある。太鼓鐘貞宗は「剣槍秘録」では一巻:25番に記載がある。また、伊達家の蔵刀には例えば「春二号 貞宗」というように春・夏・秋・冬の四季と番号が厚紙札に記され、刀袋の緒に括り付けられている。また、中には白鞘の柄にその季節と番号を朱書きしたものもある。太鼓鐘貞宗は「春二号」となり、「春一号」は敢えて選ばずに無く、大倶利伽羅が「春三号」と続く。「剣槍秘録」には、のちに重要文化財に6振(太鼓鐘貞宗を含む)、重要美術品に6振が指定されており、その中にあって太鼓鐘貞宗を「春二号」の筆頭としていることは、まさに伊達家の重宝中の重宝といっても過言ではない。主立つものでは、太鼓鐘貞宗「春二号」、大倶利伽羅「春三号」、陸奥新藤五「春二二号」、鎺国行「春三七号」、別所貞宗「夏一四号」、剣槍秘録には所載しないものでは重要文化財の備前長船義景が「春三四号」となっている。

太鼓鐘貞宗 御脇指
無銘、長八寸弐分(約24.8cm)、代三千貫下札。
「御秘録」「御記帳」云、台徳院様(二代将軍秀忠)より、義山様(二代忠宗)、元和三年(1617)十二月十三日、孝勝院様御入輿の節、御長光御大小にて御拝領の処、御刀は今御伝無之候事。
右小箱の銘所には、「太鼓鐘」と有之候。御記録には「大鼓磬 貞宗」と有之候事。
「御由緒帳」云、元禄九年(1696)正月廿八日、初て御目見之節、御屋形様(二代忠宗)より被遣之云々。
付札 享保五年(1720)、御曹子様江遣之。
「伊達史略」云、慶長十五年(閏)二月廿二日、千年忠宗君へ御縁談被仰出候。権現公(家康)の姫君四歳にて、御早世なされ候、英勝院には御悲嘆に付、慶長十六年(1611)、権現公御上洛御在京中、二条御城に於て、池田三左衛門輝政(播州姫路城主)の娘五歳なるを、英勝院殿御養女として、忠宗君に縁談仰出され候云々。

「剣槍秘録」では、巻一は、伊達政宗(初代藩主・17代当主)から斉村(8代藩主・24代当主)まで、太閤秀吉や徳川家康から家重までの歴代将軍家、及び禁裏から拝領したもので、したがって道具の内容も優れたものが多く「鎬藤四郎」「別所貞宗」「大倶利伽羅広光」「陸奥新藤五」の4点の名物が含まれる。巻二は、他家、家臣、その他から贈られたもの、歴代の伊達藩主の血縁者間で相続されたもの、巻三は、「御代々御指之部」とあり差料として使われたものを記す。巻四は、「御指並之部」
46口、「御国新刀之部」33口、項目不明59口、「御子様御兄弟様方江被進物ニ可然之部」49口、「御鎗長刀之部」39を載せる。
昭和8年、本間薫山先生が東京:大井の伊達邸にて調査を行われており、注釈は調書よりの内容となる。

「剣槍秘録」 巻一 二五
一大鼓鐘貞宗御脇指無銘 長八寸弐分
代三千貫 下札 金百五拾枚ニ当ル
御帳云従 台徳院様 義山様御拝領元和三年十二月十三日 孝勝院様 御入輿之節御刀長光御大小ニ而御拝領之処御刀ハ今御伝来無之候事
右御小箱之銘書ニハ大皷鐘与有之候御記録ニハ大鼓磬貞宗与有之候事
御由緒帳太皷鐘貞宗元禄九年正月廿八日初而御目見之節 大屋形様ヨリ被進之云々付札享保五年御曹司様江被進之
伊達史略云慶長十五年閏二月廿二日先年忠宗公へ御縁約被仰出候 権現公ノ姫君四歳ニテ御早世ナサレ候故英勝院殿ニテ御悲歎ニ付慶長十六年 権現公御上洛御在京中二条御城ニ於テ池田三左衛門輝政ノ娘五歳ナルヲ英勝院殿御養女トシテ 忠宗君ニ縁組仰出サレ候云々
一御鎺上下金無工上地鈩下磨目
一星目釘頭金茎銀
一御柄白鮫
一御目貫金弐疋獅子
一御小柄赤銅魶子餌指棹ニ鳥色絵裏金哺
一御小刀駿河守藤原盛道
一御鞘黒塗
一御鵐目金
一御下緒紫
一御袋表萌黄金入裏紅海黄緒付
一箱溜塗金粉ニ而銘書有鐶甲四分壱緒練操

短刀 無銘 貞宗 (名物大鼓鐘貞宗)
法量:刃長八寸二分、反なし、元幅七分五厘弱、元重一分六厘、茎長二寸五分
形状:平造、三つ棟、内反こころ
鍛:板目肌、処々地景交り、沸ゆ
刃文:湾乱、小沸出来、隠やかなり
帽子:丸く、やや深く反る
彫物:表、腰樋内に素剣浮彫、裏、腰樋内に棒浮彫
茎:生ぶ、先剣形、鑢目浅い勝手下り、目釘孔二
〔備考〕春二 昭和13年7月4日、重要文化財指定

明治期に伊達家の宝物類を記録した「観瀾閣宝物目録」には下記のように記されている。
観瀾閣宝物目録宝物目録巻之三 戌之部 刀剣類
第四号 甲ノ甲
一太鼓鐘貞宗 長八寸二分
一本阿弥成善曰五郎入道正宗ノ養子元康ヨリ建武年間ノ人世ニ太鼓鐘貞宗ト云即チ是ナリ本阿弥家名物集ニ載ス此中心ノ形信国長谷部ナトニハ出来ス本作ニ限ル珍重
一本阿弥祖先下札三千貫無銘表裏棒樋裏心有棒樋長八寸二分
一書付二通アリ一通ニ曰台徳院様ヨリ義山様御拝領一太鼓鐘貞宗御小代金三千貫右道具元和三年十二月十三日孝勝院様御入輿之節御拝領右御小元録九年正月二十八日屋形様獅山公初而御目見之節従大屋形様肯山公被遣之又一通ニ曰一拝領太鼓鐘貞宗御小脇指
一御目貫金紋獅子二疋連祐乗作
一御小柄赤銅紋刺笄裏板金栄乗作
一鎺上下金無工金目六匁四分
一柄白鮫
一目貫金二疋獅子
一星目釘頭金茎銀
一小柄赤銅指棹無栄乗位小刀盛道
一鞘黒塗
一鵐目金金目九分
一下緒赤
一袋萌黄金入裏紅海黄
一古帳ニ太鼓鐘貞宗御小ト記ス三千貫ハ金百五十枚ニ当ル鍛工ノ伝ニ凡長一尺一分ヨリ一尺五寸マテヲ小脇指ト云八寸一分ヨリ一尺マテヲ鎧通ト云也此ニ御脇指ト記スハ御拝領ノ御伝ニ付如此者也ニノ御帳ニ孝勝寺様御入輿之節御刀長光御大小ニテ御拝領之処御刀ハ今御伝来無之云云清亮按ニ御由緒書ニ箱梨地銀香杏蒔絵御□書ニ大倶利伽羅広光御太鼓鐘貞宗御小ト有□先代御筆歟
□アレトモ凾ミヘス尚調ブベシ御記録ニ大鼓磬トアリ

宝第十九号 大小刀小道具 御刀筒并箱
第六号
一金梨地銀杏蒔絵御刀箱
箱銘大倶利伽羅広光太鼓鐘貞宗ト金銘

長さ8寸2分(24.85cm)、反り殆ど無し、平造、三つ棟(中筋広く)、小振りで長さの割にやや広く、反りなし。鍛えは、板目肌流れ、地沸微塵に厚くつき、地斑調の肌合い少しく交じり、地景よく入る。刃文は、小のたれを主調に僅かに小互の目を交え、表腰に角がかるのたれあり、匂深くよく沸づき、砂流し頻りにかかり、金筋入り、湯走り交じり、匂口明るく冴える。帽子は、小丸に長く返る。表は太い腰樋中に素剣を浮彫、裏も太い腰樋がありその中に素剣を浮彫にする。茎は生ぶ(舟形)、棟は角で刃方は小肉付き、鑢目切り、目釘孔四(内二つ埋)。太鼓鐘貞宗は貞宗作中にあり最も小振りの短刀で、地刃には沸出来の限りない変化を見せて見事であり、貞宗の真骨頂を遺憾なく発揮している。
相模国彦四郎貞宗は、正宗の養子で弟子と伝える鍛冶で、江義弘同様に未だ有銘作はみない。師風をよく継承した作域であるが、一般に、正宗に比して地刃に穏秀の感が窺われ、姿態が大柄であるところに正宗より製作年代が下がることが示され、また多くのものに刀身彫刻が見られる。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)
#太鼓鐘貞宗

(法量)
長さ 8寸2分(24.85cm)
反り 殆ど無反り
元幅 7寸4厘(2.25cm)
元重ね 1分7厘(0.5cm)
茎長さ 2寸5分(7.6cm)
茎反り 極く僅か

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