鶯丸
鶯丸(うぐいすまる)
- 御物
- 太刀 銘 備前国友成 (名物:鶯丸)
- 宮内庁蔵
- 長さ 2尺7寸(81.81cm)
- 反り 9分強(2.73cm)
鶯丸は小笠原家に伝来した備前友成の太刀である。関東管領:足利持氏の遺児、春王丸・安王丸が、嘉吉元年(1441)、下総国結城において挙兵したとき、信濃の守護:小笠原大膳大夫政康は副将軍として参戦した。女装して逃げる二遺児を捕虜にするなど、大功があったので、足利将軍:義教より感状とともに、この太刀を授けられた。「小笠原系図」にある感状には、「鶯太刀友成」とあるが、「慶元古文書」に「鶯丸友成」とあるので、今日は鶯丸で通っている。鶯丸は室町時代以来の名物であるが、その号のいわれは明かでない。
その後、子孫の越前大野郡勝山城主:小笠原家に伝来した。元文元年(1736)9月13日、八代将軍:徳川吉宗の命により、感状とともに台覧に供した。明治維新後、同家を出、宗伯爵家に入ったが、秋元子爵が1,500円で譲り受けた。さらに同家を出たので、田中光顕伯爵が買いとり、明治40年11月、茨城県下における陸軍大演習のさい、同県の結城に因縁のある刀ということで、明治天皇に献上した。献上前に高田庄左衛門が研磨を行ったという。
古備前物の中で最も古様な作風を示し且つ品位の高いのが友成で、伝えるところでは時代を永延頃という。友成には鎌倉初期の嘉禎年紀の作が現存し、一代限りでなく複数の同名工の存在が考えられ、これが襲名なのか、将又のちに昔の名工の名を慕ってなのったのか定かではない。銘文は「備前国友成」と切るものが多く、他にその下に造がつくもの、「友成」、「友成作」などがあるが、概して長銘のものに古香な出来が多く、短い銘のものには新味が感じられるものがある。友成と並んで古備前派の双璧とされる正恒に比べて、地がねに少し黒みがあって肌立ちごころとなり、映りは淡く中には全く目立たないものもあり、刃文は丁子がほとんど交じらず小乱れ主体で如何にも古色蒼然たるものである。一方、正恒は地がねがよく約んで映りが鮮明に立ち、刃文は焼深く小丁字ごころを交えて友成よりも幾分技巧味の加わった感じのものが多い。
鶯丸は刃長2尺7寸(約81.8cm)、反り9分(約2.7cm)、形状は、鎬造、庵棟、腰反り高く踏張りがあり、小鋒詰る。鍛えは、板目肌よくつみ、地沸厚くつき、棟寄りに沸の乱れ映り立つ。刃文は、小乱れ、上半焼幅広く、足・葉頻りに入り、金筋かかり、物打上大きく湾れ風となり、一段と盛んになり、沸よくつき匂口冴える。帽子は、僅かに乱れ込み、先小丸、表裏とも二重となり、小沸よくつき、掃きかける。茎は、生ぶ、先栗尻、鑢目勝手下り、目釘孔一。
(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)
#鶯丸
(法量) | |
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長さ | 2尺7寸(81.81cm) |
反り | 9分強(2.73cm) |
元幅 | 9分8厘(2.97cm) |
先幅 | 5分6厘(1.7cm) |
元重ね | 2分1厘(0.69cm) |
先重ね | 1分7厘(0.52cm) |
鋒長さ | 8分弱(2.42cm) |
茎長さ | 6分3厘(19.09cm) |
茎反り | 僅か |