新潟県の刀剣買取の事例
私は新潟市在住のHと申します。つるぎの屋の冥賀さんとはもう長年にわたりお付き合いいただいておりますが、なにぶん遠方のなものでなかなかお顔を拝見できずにおりますが、近年はもっぱら電話とメールでのご連絡となっております。私も県内の剣友や親戚から近所から刀が出てきたりすると相談を受けることが多くあります。ほとんどは江戸時代の当時の拵のままであったり、戦時中の軍刀であったりして錆身のものもあります。県内の職人さんに白鞘を新調してもらったり、研ぎをいれてもらったりすると今度は鑑定書をつけたいということになります。こちらから東京の日本美術刀剣保存協会のある刀剣博物館まで審査に提出する為に上京するのはなかなか大変です。そういった時には東京のつるぎの屋さんに私の刀も宅配便でお送りして、お店からも審査に出される刀と一緒に持っていってもらうことをお願いしています。もちろん、冥賀さんの方でこれは審査に合格されるでしょう、こちらは難しいかもしれませんね、と事前にいつもご相談させてもらっています。審査の結果が出るまでは楽しみでいついも首を長くして審査の結果が来ないか待っている次第です。場合によっては、審査の結果の後には、そのまま刀剣商の交換市場(オークション)で競りに出してもらうこともあります。
先日は珍しい北越住兼宗二代の短刀を入手しました。越後長岡は刀工の少ない土地で、幕末のこの兼宗父子がでただけと聞いています。初代は会津十代兼定の弟子とのことですが、二代の方がうまいそうです。この短刀も姿がよく互の目丁子の刃文を見ますと、いつも満開の花を思い出します。これには質素な幕末拵がついています。小道具の寄せ集めですが、昔は職人さんが丁寧な仕事をしたようで鞘の塗りも柄巻も大変よく出来ていると、地元の職人さんもほめてくれました。しかし残念ながら中心は穴二つです。いまついている拵に合わせたのでしょうか。この短刀はおそらく長岡藩のあまり高禄ではない武士が倹約してもとめた一刀なのでしょう。塗りの具合からすると常用していたものらしく、慶応元年作ですからこの短刀も戊辰戦争の戦火を経てきたのではないでしょうか。また、次の刀剣の審査に提出するときにはお願いしたいと思っておりますので、その際にはよろしくお願い致します。
新潟県の旧国名は、越後国と佐渡国いいます。
越後国は北陸道の一国で、今の新潟県、越後は「延喜式」によれば、横刀六口を毎年朝貢することになっていました。南北朝期の争乱期には刀剣の需要が多かったようで、頸城郡青木、つまり今の上越市市青木にいた領主:山村安信は応安(1368)のころ、京都から信国をよび下して、自らも鍛刀しました。これと時を同じくして、北越後の岩船郡桃川にも、江州の甘呂俊長の門人:長吉が鞴をすえました。両派とも珍品として、玄人に好かれています。新々刀期になると、江戸に出て名をあげた栗原信秀がいます。
佐渡国は、北陸道七カ国の一つで、現在の新潟県佐渡市、日本海に浮かぶ最大の島で、刀工としては大永(1521)ごろ、加茂郡五十里(いかり)(佐和田町)に兼先、慶長(1596)ごろに加茂郡河原田(佐和田町)に兼幸、幕末になると、雑太郡相川(相川町)に正照、羽茂(はもち)郡羽茂(羽茂町)に元彦らがいました。鐔工として、江戸中期に三右衛門・利貞らが出て、佐渡鐔と呼ばれるまでに名をあげました。
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