滋賀県在住のWと申します。冥賀先生には長年にわたり愛知県犬山市で開催されている刀剣の研究会である霜華塾でご指導を受けております。今回は同じ滋賀県内に在住する剣友が所有するコレクションを処分するにあたりつるぎの屋さんにご相談させていただくことになりました。
滋賀県の郷土刀は私が数振りを査定価格で譲ってもらうことになり、残りは東京で開催されている刀剣商の業者交換会(オークション)に代理出品してもらうことになりました。長年にわたって収集したコレクションですので本数も多くて初めはどのようにするべきか途方に暮れておりましたが、ご相談すると早速に刀剣ケースを数箱ほど佐川急便で送ってくださり、そちらに梱包して東京まで返送しましたので安心して郵送することができました。刀剣を輸送することができることを知りませんでしたが、佐川急便の宅配便と日本郵便のゆうパックであれば全く問題無く「日本刀」と記載して送ることが可能であるそうです。業者交換会(オークション)での落札価格も当初の予想価格を20~30%ほど上回るものもあり、総額も予想を大きく超えており友人も私も大満足でした。また刀剣を売却する折には是非ご相談させていただきます。

滋賀県の旧国名は近江国といいます。東山道の西端にある国名で、古くは砂鉄の産地として知られ、鉄穴が多かったので、大宝3年(703)9月には志紀親王に、天平宝字6年(762)2月には、藤原押勝に浅井・高島二郡のうちの一カ所を、朝廷から与えられています。天平14年(742)12月には、貴族たちが民衆の砂鉄採取を妨害することのないように、という禁令が国司に達せられています。「延喜式」では毎年、横刀二十口、甲冑六領を進頁するよう定められています。刀工としては、古刀期において高木貞宗・中堂来光包が有名であるほかは、甘呂俊長や蒲生助長の一類がいました。新刀期になって下坂鍛冶、ほかに佐々木一峯がおりました。

甘呂俊長は刀工で、通称は天九朗、高木貞宗の門人で、槍造りの名人、江州犬上郡甘呂住・江州蒲生郡住・江州高木住などというが、甘呂に淬刃の井戸と伝えられる井戸や碑が現存します。なお、越前や越後でも駐槌したといいます。作風は、地鉄には板目肌と、細かに詰まったものと二種あります。刃文は、直刃、鋩子は丸く、よく彫物をみます。銘は「江州甘呂俊長」「甘露俊長」などと切り、延文五年(1360)の年紀のあるものがあります。
甘呂とは、近江国犬上郡青根郷甘露村、現在の滋賀県彦根市甘呂町、延文(1356)ごろ、特に槍の名工といわれた天九朗俊長派の住地です。銘に「甘露寺俊長」と切ったものがあるとおり、昔ここに甘露寺という寺院がありました。江戸期になっても、俊長の淬刃水は天の湯、または甘露水と称し、注連縄を張り、飲めば疫病を免れるといわれていました。現在もその傍に、明治44年に建てた「天九朗俊長淬刃之水」と題した石碑が建っています。
近江国野洲郡野洲郷守山説は、俊長を守山甘呂住と住とする説です。現在の滋賀県守山市守山の字二王町にある大光寺の南側に、古くは都賀山醴泉、のち甘香池とよばれた古池がありました。これを甘露水とも呼んでいました。それを略して甘露または甘呂になったと、推定した説があります。
近江国蒲生郡説は、銘に「蒲生」とばかり切ったものを、俊長の作と見なし、江州蒲生住としたものです。これは俊長を蒲生郡の石堂鍛冶出身とみなしての推論でしょう。

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